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ネフローゼ/線維筋痛症|発病〜現在|簡単ストレッチひとりごと

発病〜現在 1/2

発病(1997年10月)

1997年の秋、ネフローゼ症候群という病気と診断されました。原因は不明。微小変化群といってあまり大きな変化はみられないものだそうですが、再発しやすいし、ちょっと普通の微小変化群とは違う と言われています。それに膠原病の疑いもあるとのこと。膠原病の症状は出てるけど、膠原病の抗体が見受けられないとか。そういう方結構いるそうです。

入院前・・・

その年の初め頃から、足がなんとなくむくんでいるような気がしていました。4月に会社の健康診断で蛋白尿を指摘されたものの、仕事が忙しいのを理由に放ってしまいました。(病院にいくのが怖いっていうのもありました。)それぐらいからでしょうか、むくんだ足を押しても、戻らなくなっていました。8月末ごろから、関節の痛みがひどくなり、夜はしばしばこむらがえしが起こりました。9月になると、ますます全身の関節の痛みがひどくなり、尿もほとんど出なくなり、立ったり座ったりの日常の生活が苦しくなってしまいました。足はまさにサリーちゃんの足、象足状態。その当時は家では這って暮らし、仕事は気力で行っていました。朝起きてから立ち上がるのに痛みのため30分近くかかることもありました。9月末近くの病院にいったところ、ネフローゼに間違いないとのことで、すぐに近くの大学病院にいくことを勧められ、10月始め、ベッドが空くのを待って、その大学病院で入院することになりました。

入院中・・・

入院した時は、通常時より10kgほど体重は増えており、肺にまで水がたまっていたそうです。同じ体勢をとってると苦しく、かといって動くのも難儀、人と口をきく元気もなく、ちょっとしゃべると声もかすれ、歩くのも上手く出来ず、ソロソロ歩いていました。 入院した翌日、腎生検(腎臓の組織を直接とって調べること)をするはずでしたが、微熱もあり炎症反応もあることから、1週間後に延期されました。それで本当に良かったです。同じ体勢をとってられない状態でやっていたらと思うと・・・ ちなみにぶすぶす4回刺されました。 治療は3日間ブレドニゾロン500mgの点滴のパルス療法からでした。プレドニンは6錠30mgから。蛋白は治療開始後一週間ぐらいで陰性となりました。当初、多分プレドニンは効かないだろう っていわれて始めたのですが、相性がよかったみたいです。結局、2ヶ月半病院にお世話になりました。

退院後・・・

プレドニン20mgで退院しました。退院後、2度ほどですが、1〜2ヶ月にわたり関節痛や筋肉痛がひどくなり、立っているのも辛いことがありました。血管の中側から痛むという感じ、皮膚に触れただけでも痛いのです。ひどい時は何歩か歩いては休み、歩いては休みで、かつて山を登っていたなんて自分でも信じられない程でした。その時は主治医の指示に従いステロイドを増やし、なんとか症状は収まりました。  退院1ヶ月後には仕事に復帰しました。もちろん、本当にこれは職場での理解があるからこそ出来たこと。私の場合、仕事への復帰が病気とのつきあい方を決めたのかもしれません。もちろん当時一人暮らしでしたので、『仕事をして食べていかなきゃいけない』という切実な問題もありました。がなによりも、自分の仕事が好きでした。こんな病気で負けてられない!そんな気持ちが毎日の生活の励みになりました。

2000年8月時点

プレドニンは毎朝5mg。関節痛は常にありますが、本当に見た目は普通でとっても元気ですし、今のところプレドニンの副作用も出ていないようです。  こんな私ですが、発病後、仕事を通じて今の主人と知り合い結婚しました。病気なんて関係ないって、世の中、そんな人もいるのですね。今年の5月、主人が転勤になるまで、フルに働いていました。  今回の転勤で初めて病院がかわりましたが、今度の先生も話しがしやすい先生でほっとしています。  病気に疲れてしまうこともありますが、私は病気になってみて、教わったこと知ったことが本当に沢山あります。きっとそれに気づくために病気なったんだと 今はそう思ってます。

→再発(2000年9月)

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